春立つ*[本]

神様 (中公文庫)

神様 (中公文庫)

せつなくてかわいらしくてたまらない小説だった。

「猫屋」という飲み屋を一人でやっているおばあさん、
カナエさんが語ったごく若い頃の話。
雪の多い街に住んでいた頃、夕方にずんずん歩いていたある日
町はずれへの道は途切れることがなく、眠りに入りたくなるような
目眩におそわれたカナエさんは、丘陵をどこまでもどこまでも
滑り落ちて辿りついたのだ。男のいる所に。
どこともしれない場所で、呼ばれるままに男と連れ添いはじめた。
帰ったり、帰らなかったりする男を待って暖炉を温め、食事を作った。
帰ると男はカナエさんを抱きしめたりくるくる丸めた。


淋しいと最初に思ったのは、雪が溶けはじめるころだったか。
男が帰らなくて、淋しい。男が側にいなくて、淋しい。
(中略)
「あんたが好きみたい」カナエさんがある日ためしに言ってみると、男は、
「好きたあ、なんのことだ」と返した。
「好きっていうのは、好くことよ」
「なるほどなるほど」男は言い、カナエさんをまるめに来た。
「好きっていうのは、好かれたいことよ」まるめられながら、カナエさんは続けた。
「なるほどなるほど」男はもう一度言い、さらにカナエさんをまるめた。


これ以上ないくらいまるめられて、わからなくなった時、目眩を感じると
男はいなくなってしまった。男の声が聞こえたと思うとカナエさんは
自分の家の玄関に立っていて、雪は溶け、春の終わりが来ていた。

こうして毎年、雪が降ると男のもとへ行き、帰されることを怖れて、
好きと言葉にしないようにしていても

カナエさんの体じゅうが淋しくなった。身体のうわっつらも中身も、
ぜんぶが淋しくなった。最後まで残っていた淋しくない部分が
淋しいにくるりと裏返ったとき、


「帰ってほしいのです」と叫んだカナエさんはやはり戻される。


男の側にはいるのだが、男に触れることができないのと一緒
それはほんとにさみしいんだけどでも、好きなんだなぁ。
カナエさんは、雪の季節のその存在が。


「神様」はどのお話も不思議な生き物たちと出会って別れて
いくお話。どれもいいけど、このお話は本当にいとおしい。