曖昧だしどんどん形を変えるけど確かにあるもの*[本]

人のセックスを笑うな (河出文庫)

人のセックスを笑うな (河出文庫)

人のセックスを笑うな  その意味するところは

もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりな動作で自分たちに酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやってほしい。


ってこと。たどたどしい、どこかのなにかの真似事のような動きでも
本人たちにはそれはたった一つの特別な出来事なのだ。

しかし恋してみると、形に好みなどないことがわかる。好きになると、その形に心が食い込む。そういうことだ。オレのファンタジーにぴったりな形がある訳ではない。そこにある形に、オレの心が食い込むのだ。


恋なのか、身近な人に優しさを注ぎたいだけなのか、本人にも
わからないまま思いに翻弄されている一人と一人。
二人の人間の思いは結局のところ別物で、いつか通じ合っていたのか
なんてわからない。何を考えて離れるのか、次の恋がいつできるのか
わからない。そしてこんな正直でさみしい言葉を吐く。

会えなければ終わるなんて、そんなものじゃないだろう


カツラ美容室別室

カツラ美容室別室

「カツラ美容室別室」で描くのはもっと、恋とも友情とも呼べない
ふわふわした心のありよう。

こんなにも人間関係が曖昧であることで、先行きが不安になる。もっとこまめに他人と連絡を取り合わなくては、人間の形としておかしいのではないか?


大人のゆるやかな友情関係は、学生の延長のような馴れなれ
したものよりずっとリアルで

相手の心を覗くことは、相手の心を予想することとは違う。ただひたすら注意深く、全身を耳にして耳を澄ますのだ。答えは出さない。相手の心がわかることはないから。ただ自分たちが平均台の上にいるということを知っておく。理解は不可能で、誤解だけが可能。知らないということを深めたくて、心を覗くのだ。


そんな覚悟を持っている。そして男女の友情は可能か?
という永遠のテーマにもはっきり答える。

男女の間にも友情は湧く。湧かないと思っている人は友情をきれいなものだと思い過ぎている。友情というのは、親密感とやきもちとエロと依存心をミキサーにかけて作るものだ。ドロリとしていて当然だ。恋愛っぽさや、面倒さを乗り越えて、友情は続く。走り出した友情は止まらない。


山崎ナオコーラは曖昧な人間関係、曖昧な恋愛感情の
持つ真実味を描くのがうまい。するすると手ごたえなく
読めてしまうので見過ごしそうだけど、本当は丁寧に、
流れてしまいそうな一瞬の思いや、移り変わる関係性を
丁寧に掬い上げて、言葉にしてくれる。
男性性、女性性のゆるやかさも心地よい。